華水の月

60.ミルフィーユ

 薫と別れてから、一週間が経った。
 一方的に美緒からメールを送りつけただけに過ぎないから、正確には別れたとは言えない。
『もう先生には会えません。今までたくさん傷つけて、ごめんなさい』
 たったそれだけの簡素なメール。でも、たったそれだけのメッセージを送るのに、美緒は何度も泣き、そして悩み続けた。
 こんなにも心痛む決意をしたのは、初めてのことだ。薫と出会ったばかりの頃、彼から離れるために留学を決意した時だって、こんなにも心が苦しくはなかったのに。それだけ、以前の美緒よりも今の美緒の方が薫を愛しているということなのだろう。共に時間を過ごし、ゆっくりと深く愛されていくうちに、知らず少女の心は薫に堕ち、そして彼の色に染まっていた。離れてみて改めてわかる深い愛情は、美緒の心をより薫へと惹きつけるのだった。

 あれから毎日、薫からの連絡が携帯に入っている。けれど、それら全部を、美緒は完全に拒否していた。頻繁にかかってくる電話には一切出ず、届くメールも全て開くこともしないでいる。いっそメールアドレスを変え、電話番号も変えてしまえばいいのに、それをしてしまえば、薫と繋がっているものが何もかもなくなってしまいそうで、できずにいた。
 ワガママだと、自分でもそう思う。拒否しているのは自分なのに、薫からの気持ちを自ら断ち切ることが出来ない。かかってくる電話やメールを受け入れられないくせに、それがあるだけで、まだどこかでは薫と繋がっている自分に、安心しているのだ。――まだ愛されている、そう感じていたのかもしれない。
 泉と共に過ごした夜、薫が何を美緒に告げたかったのかがわかった気がした。けれどその想いは曖昧で、やっぱりちゃんとした現実を受け入れられる自信がない。一度逃してしまったチャンスを取り戻すには、美緒の心に大きなリスクが伴っていた。
 泉に縋ってしまった方が楽だとは分かっている。あれだけ愛してくれる泉なら、美緒の気持ちをも救えたのかもしれない。泉の腕の中は、どんな場所よりも安心でき、美緒の傷を癒してくれるだろう。でも、それではダメだ。泉の優しさには逃げられない。薫しか愛せないと分かっていて、どうして彼の優しさを利用することなどできるだろう。どうして、大好きな泉を傷つけることなどできるだろう。
 これから遠い未来、薫よりも泉を愛する日が来るのかもしれない。恋愛に『絶対』や『永遠』などないのだから。でも、そうでない今は、それを選ぶわけにはいかないと、美緒の冷静な理性はわかっている。だが、いくら美緒の心が強くとも、それが勇気に繋がるのかと言えば、そうとは言えなかった。優しさゆえの臆病さが、美緒を引き止める。色んなものを目の当たりにし過ぎたからこそ、美緒は薫の胸に飛び込めない。
 あの時、逃げずに最後まで聞いていたら。
 膨らませる想像の中に、安心している自分と、絶望を感じている二パターンの自分が過ぎる。そう考えると、やはり絶望に恐れている自分がいる。今になっては、どちらも絶望だ。薫が裏切ったのだという真実を告げられても絶望。そして、薫が全くの無実だと知った場合。それでも、薫を信じられず逃げてしまった自分は、結局薫を裏切ってしまったのと同じことだ。
 そんな自分が、許せないだろう。薫を信じられなかった自分も。薫の全てを受け入れられないかもしれない自分も。美緒は、そんな自分がどちらも嫌いだったのだ。……だから、薫には相応しくないと、そう思い込んでしまった。

 あの日から、学校もずっと欠席していた。
 土日を跨いでいたこともあって、実際に休んだのは五日だが、さすがにそんなに休めば周りにも心配をかけている。親友のえみや、その他の仲の良い友達が、心配の電話を美緒によこした。
 実際、精神的にも身体的にも参っているということと、薫に会えないというのが休んでいる本当の理由だが、もう一つ素直に登校できない理由がある。美緒への悪意を秘めた第三者の目が怖いのだ。一枚の写真に秘められた激しい熱情は、今も美緒の心に傷として残っている。心の片隅では、それが誰による仕業なのかを、美緒は気付いていた。けれど、美緒は彼女を責める気にはなれなかった。
 ストレスのせいか体は衰弱して熱を出していたこともあり、家族には失恋による欠席だということはバレてはいない。今日もまだ、微熱に冒されている自分の体に嫌気がさして、美緒は小さな溜息を零していた。
「三十七度五分か……」
 脇に挟んでいた体温計を取り出し、開いていたパジャマの胸元のボタンを閉じる。
 体はやはり正直だ。元々体の弱い美緒にとって、三十七度五分という体温は、さほど珍しいものではない。だからと言って、平熱が低い分平気というわけでもないが、耐えられる範囲のものでもあった。いつもの美緒なら、無理をしてでも登校していただろう。そして、あまりに耐えられなくなったら保健室で休む。
『無理するなって、言っているだろう?』
 そうやって、薫に甘く叱られるのが美緒は好きだった。心配してくれるその優しい薫の眼差しが好きだった。保健室に誰もいない時は、薫は美緒が寝つくまでずっと手を握ってくれていた。その温もりを思い出し、美緒はギュッと手を握りしめ、そして思いを振り払うように首を振った。

 それから、どれくらい時間が経っただろうか。
 再び眠りについていた美緒だったが、ドアの向こうから聞こえるノックの音で目が覚めた。外はだいぶ薄暗くなっている。すっかり夕陽に染まっている空に、もう夕刻であることを知った。だるい体を起こしながら、返事をする。家族ならば、美緒の返事を聞いてドアを開けるだろう。
 けれど、ドアの向こうにいる人物は、美緒の返事を聞いても反応を示さなかった。
「誰?」
 ドアに歩み寄り、ゆっくりと開く。少し警戒しながら覗き見ると、そこには懐かしくも愛おしい人が立っていた。
「ハルカ!!」
「……久しぶり」
 思わず声をあげると、相変わらずぶっきらぼうな返事が返ってきた。
 そう、美緒の部屋を訪れたのは、紛れもなく香月ハルカ、その人だった。
「ど、どうしたの?! 突然」
「たまたま近くまで来たから」
「そうなの?」
「メールしても返事ないし、どうせだから家に寄ってみたら、家族の人がおまえの部屋まで上がっていいって言うから、それで」
 部屋の中にハルカを促しながら、美緒は自分の携帯を開いた。確かにハルカからのメールが残っている。だが、眠っていたために気付かなかったようだ。
「でも……よく、上がったこれたね」
「え?」
「ううん。なんでもない」
 家族には、友達以外の見舞いは一切通さないよう、言ってある。それは、もしも薫が来た場合の対処だ。
 後で聞いた話では、数日前、担任ではない男教師がプリント類を持って様子を見に来たそうだ。長身でメガネをかけており、その容姿はやけに美しかったと。教師だと家族は言っていたが、それが校医の櫻井薫であることは美緒には分かっていた。
「おまえの友達なんですけど、って言っただけだけど?」
「あ、そっか。それなら別に、いいんだ」
「何? ……友達以外が来たら何かまずいことでもあるのか」
「べ、別に」
 以前も来たことがあるからか、多少は勝手の分かっているハルカは、美緒に言われるがままに大きなクッションの上に腰を下ろした。その姿は制服姿だ。きっと、学校帰りに違いない。だとしたら、何故こんな遠いところまで下校途中に来る必要があったのか、美緒は少し不思議に思った。
「何か用事があってこっちに来たの? もっと早くに言ってくれてたら、私もちゃんと準備して外に出られたのに」
「いや、特に何かあったわけじゃないから。それに、急なことだったし、別にいい」
「そう、なんだ」
「それよりこれ。おまえにお見舞い」
「え?」
「ケーキ。好きだろ?」
 ハルカが、手に持っていたケーキの箱を美緒にポンと手渡した。ズシッと重みのあるその箱を受け取るなり、美緒は嬉しそうに微笑んだ。だが、その笑顔はいつもとは違い、どこか寂しげで儚かった。
「すごく可愛いラッピングだね。わざわざお店の人に頼んだの?」
「え? ああ、まあそんなとこ」
「ありがとう。あ、私ちょっとキッチンからお皿とジュース取ってくるね」
「ああ」
「ちょっと待ってて」
 一旦箱をテーブルの上の置き、席を立つ。すかさず、ハルカが美緒の背に声をかけた。
「美緒。紙とペン、貸してくれないか」
「え? ……うん、いいよ」
 何に使うのだろうか、と少し不思議に思いながら、美緒は可愛らしいメモ帳とボールペンをハルカに手渡した。サンキュ、とハルカが軽く礼を言うのを聞き、そしてキッチンへと続く階段を降りていった。
 その時ふと、『おまえにお見舞い』と言ったハルカの言葉が引っかかった。
 ――見舞い。
 ハルカには、美緒が体調を崩していることなど一切言っていなかったのに、なぜ彼は見舞いだと言ったのか。そこは、土産という方が正しいのではないのだろうか。でもまあ、自分の家族が美緒の不調のことを先に言っていたのかもしれないと思い、美緒はそれ以上考えるのをやめた。

「わあ、すっごい可愛いミルフィーユ!」
 綺麗にラッピングされていた箱を開けると、そこには彩りの鮮やかな苺のミルフィーユが顔を覗かせた。
 美緒の一番好きなケーキだ。五つも同じものが入っている。二人で食べるのには少し多すぎではないだろうか? と思ったが、それをゆっくりと皿に取り出しながら、美緒はハルカに視線を向けた。
「私、ミルフィーユが一番好きなの」
「そっか」
「さすがに五つもって吃驚したけど、でもすごく嬉しい。ありがとう、ハルカ」
「どういたしまして」
「ハイ、これハルカの分」
 皿に取り出したミルフィーユを、オレンジジュースの横へと置く。するとすかさずハルカが手のひらを美緒に向け、小さく振った。
「いや、俺はいらない。甘いもの、あまり好きじゃないから」
「え、でも……」
「これは全部おまえが食え」
「五つも?!」
「……そうみたい、だな」
 無理だよ、と苦笑いしながらも、美緒は快くケーキを受け取った。ハルカも釣られる様に苦笑いした。懐かしいその笑顔に、美緒はホッと息をついている自分に気付く。
 やはり、ハルカと一緒に過ごす時間の流れは、優しくて温かい。言葉などあまり必要としない。そばにいるだけで安心するような、懐かしいような、そんな不思議な雰囲気に、美緒はしばらくの間忘れていた安息を得ていた。
「顔色が悪い。体調良くないんだろ」
「そうでもないよ」
「嘘が下手くそだな」
「嘘じゃないもん……」
「三十七度五分ってところか。熱がある」
 ハルカが美緒の額に優しくて手を当てる。大きくて温かい手のひらだ。美緒は、困ったように笑うしかできない。
「学校は、ちゃんと行ってる?」
「……どうして?」
「前と、同じ顔してるよ」
「え……」
「あの時のおまえと今のおまえ、同じ後悔してないか」
 それが、以前薫と離れ離れになり、塞ぎ込んでいた時のことを言っているのだと、美緒にはすぐに分かった。
 そうだ、ハルカは知っている。薫を失った時、美緒がどんなに壊れてしまうのかを。
「ズル休みはあまり感心しないな。勉強遅れても知らないぞ」
「ズル休みだなんて……」
「そんな困った顔しといて、嘘じゃないって言えるのか?」
 ハルカの言葉に、美緒は苦笑いするしかなかった。何でもお見通しなのだから参ってしまう。
「学部は違っても、大学くらいはせめて、おまえと同じ大学に行きたいんだけど?」
「同じ大学?」
「そのためには、おまえが頑張らなきゃな」
「ひどいなあ。このままだと、私がハルカに置いてけぼり食らうって思ってるの?」
「……否定はしない」
 ツン、と言ってのけたハルカに、美緒が小さく笑った。けれどその笑顔はすぐさま失われた。
 目の前のミルフィーユを、フォークでさしてみる。いつもだったらもう少し上手に食べられるのに、ポロポロと崩れていく様に、美緒は自分の心が大きく乱れていることを実感した。
「ミルフィーユ食べるの下手くそなんだよね。……それでいつも、泉くんに笑われるんだあ」
 美緒は、皿に乗せたミルフィーユを、フォークを使って手前に倒した。
 瞬間、泉の姿を思い出す。いつも微笑みながら美緒を見つめてくれていた、その優しくて悪戯っぽい眼差しを。
「いつもどうやったら上手く食べられるのか分からなくてね、フォークで刺すとすぐボロボロにしちゃってたの。そしたら、ミルフィーユは一度倒してから食べるんだよ、って泉くんが教えてくれたんだけど、それでも上手く食べられなくて、おまえは下手糞だなっていつも笑われて……、最後には横取りされちゃったりもして、よく喧嘩してた」
 小さく悲しい微笑を浮かべながらの、まるで言い訳のような台詞。脳裏に泉を浮かべながらの美緒の表情は、今にも泣いてしまいそうだ。そんな美緒の落ち込んでいる様子に、ハルカも黙ってはいられなかったのだろう。小さく呼吸を置き、そして小さく問うてきた。
「何か、あったか?」
「……ううん」
「そっか」
「……うん」
 ハルカはきっと、美緒の心が傷ついていることに気付いているに違いない。誰よりも繊細な分、人の気持ちには敏感なカレだ。何が理由なのかは知らなくても、美緒の心に傷がついていることくらい、ハルカにはすぐに読めてしまう。けれども、その原因を穿りだしてまで問いはしないところがハルカらしかった。カレはただ、美緒の心をヴェールで包むように、そばにいて見守っていた。
「大事な人を、ずっと大事に」
「……え?」
「それを教えてくれたのは、おまえだったなあと思って」
 何かを懐かしむように話すハルカの声。美緒は黙って、ハルカの言葉を聞いていた。美緒を見つめるハルカの瞳は優しくて、それでいて吸い込まれそうなほど深かった。
「自分にとって一番大事なものさえ失わなければ、たとえ何があっても強くいられる。愛されることの幸せを忘れずにいれば、どんなにつらいことがあったって、自分を見失わずにいられる。でも、それを知ることの出来る人間はこの世にはそんなにいなくて、知ることができただけでも幸せなんじゃないのかなって、思ったりするよ」
「…………」
「一番大事な人を見失うなよ、って前に電話でおまえに言ったっけ」
「……うん」
「それってさ、おまえが俺に教えてくれたことだよ」
 すぐ隣に座っていたハルカが、美緒の頭の上にポン、と手を乗せた。思わず目を伏せてしまう美緒を、優しく微笑みながら見守っていた。
 僕は君という存在を見つけられたことが何よりの幸せなんだ。だからずっと君を失わないように守り、君のためだけに生きていきたい。でも、君にとっての一番大事な幸せはなんだろう。
「失くすなよ。おまえにとって一番大事な人を。誰もが簡単に見つけられるわけじゃないんだから。おまえが持ってる大事なものは、本当にかけがえのないものなんだから」
「……分かってるよ」
 まるで拗ねたような口調で、美緒が膝を抱えながら呟いた。
 ハルカの言う言葉の意味は、美緒にだってよく分かっている。一番大事な人、それは薫だ。美緒にとって薫は絶対的な人だ。その人を失ってしまえば、どれだけ大事なものを喪失するかくらい、分かっている。
 でも、どうしたらいいのか分からない。失わないためには、自分がどう生きれば良いのかわからない。もしかしたらもう既に、失ってしまっているのかもしれない。そんなことばかりが頭の中をグルグルと回って、美緒は混乱するばかりだった。
 そしてもう一つ、薫の胸に素直に飛び込めない理由が美緒にはあった。
「でも、こうするしか、私には選べなかった……。もう傷つけたくないの、誰も」
 思わず、瞳から涙が溢れ出た。薫のことを思い出すだけでも愛おしくて、苦しくて、もどかしくて、涙が溢れだす。いつの間に、こんなにも臆病な自分になってしまったのだろう。薫のことを愛しているはずなのに、どうしてもっと上手く愛せないのだろう。
 本当はもっと、分かり合いたかった。互いの全てを共有してしまえるほど、愛し合いたかった。でも、嫌われるのが怖くて怖くて、出来なかったのだ。
「なんだ、泣けるんじゃん」
 膝を抱えたまま声を押し殺して泣き崩れる美緒の頭を、ハルカが引き寄せ、片手でギュッと抱きしめた。そしてポンポン、と美緒の頭を撫でた。その手の感触が、思わず薫を思い出させた。
「傷つけたくないと思うのは、美緒だって傷ついてる証拠だって、俺は思うけどな」
「…………」
「そのままのおまえでいいんだよ。強いところも弱いところも、全部ひっくるめて美緒は美緒だろう? おまえの全部が好きなんだ。……俺もね」
 耳元で囁くハルカの声を、美緒は黙って聞いている。
 ハルカはそんな彼女の髪に唇を寄せて、落ち着かせるように何度も髪を撫でた。
 本当は、抱きしめて、口付けて、彼女を連れ去ってしまいたい。自分だけのものにしてしまいたい。でもハルカは、自分が彼女の恋人ではなく親友だという自分の立場をきちんとわきまえているからこそ、それ以上は求めなかった。今の美緒を一番慰めることができるのは、薫しかいないということもわかっている。美緒のことは、ずっと前から気になっていたのだ。誰よりも優しく謙虚な彼女だからこそ、本当に大事な時に自分の気持ちを秘めてしまう美緒の悪い癖。それはきっと、一番大事な薫の前でこそ、顕著に表れているような気がする。
 綺麗な自分を愛されたい。綺麗に薫を愛したい。
 そんな控えめで純粋な美緒の気持ちはとても可愛らしいものではあるものの、儚く脆いものであるようにも思えた。その反面、泉の前での美緒は、弱い自分をも全て曝け出しているように、ハルカの目には映った。美緒にとっての、この二人という存在が、彼女の精神に絶妙なバランスをもたらしていたのだろう。
 泉がいなければ、美緒はもっと薫に自分をぶつけていられたかもしれない。けれど、泉が居たからこそ、美緒は大きく救われた部分もあったに違いない。鋭い薫は、そんなバランスさえ全て気付いているに違いない。どんな目で、美緒と泉の関係を見守っていたのだろう。ハルカにとって尊敬する恩師のそんな気持ちを思うと、少しばかり胸が痛んで仕方が無かった。
「あんまり優しくしないで……。優しくされたら、ハルカの気持ちに甘えたくなるから……」
 小さく呟いた美緒の言葉に、ハルカがフワリと笑った。
 言葉とは裏腹な、美緒の虚勢がとてつもなく愛おしく思えたのだ。
「嘘つき。……おまえが本当に甘えてくれるような女なら、こんな風にそばにいたいとは思わないよ。誰にも頼らないと分かっているから支えたくなるんだ。いつも強がって、一人で頑張ろうとばかりして、一人で隠れて泣いたりするからほっとけない。……いいかげん気付け、バカ」
「……っ」
「無理するなよ。どうしてもダメな時は、俺を呼べばいい。俺は、いつだっておまえの味方だから。……でも、最後まで諦めることはするな。自分で可能性を捨てるようなことはするなよ。一度逃げたら一生逃げなきゃいけなくなる。おまえが逃げているものは、本来とても大事で尊いものであるということを、忘れるなよ。おまえはその価値を見失ったりしない人間だって、俺は信じてるから……」
 結局美緒は、悩んでいる本当の理由を、ハルカに告げることはなかった。
 心配をかけたくない、と、そう思ったわけじゃない。言わなくても、ハルカが美緒の気持ちを察してくれていることを、彼女自身が気付いていたからだ。ハルカの言葉は、優しいながらも、真実を冷静に捉えていて、それが美緒の心に突き刺さった。
 それから暫く、美緒は黙って膝を抱えたままだった。
 そんな美緒を、ハルカはずっと寄り添って、髪を撫でていた。

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