華水の月

67.フェイクライン

「だって美緒が、俺の恋人なんだから」
 天変地異でも起きたのだろうか――。
 脳に電撃でもくらったようなショックに、えみは思考回路を断絶された。

 薫はその言葉に固まってしまったえみを見据えると、再びニヤリとした微笑を口元に浮かべた。
 あまりに吃驚して固まっているえみを見ていると、ここらで一本タバコを吸ってみようかという余裕な気持ちになる。自分の意のままに反応を見せる人間というのは、見ていて本当に面白いのだ。サディスティックな意識の強い薫にしてみれば、美緒にしても泉にしても、そしてこのえみにしてみても、相手をしていて愉快なことこの上ない。ましてや、えみの反応は、自分が信じていたものを証明したということでもあり、正直に嬉しかった。
 やはり、えみに賭けてみたのは正解だ。えみが薫の思い通りに反応を示してくれることで、それが確信へと変わる。こんなにも美緒を思ってくれる人間は、そうそういないだろう。だから、薫はえみに全て打ち明けると決めた。と言うよりは、共犯にすると決めていた。
「えーと……あのー……。すいません、櫻井先生。もっかいお願いできます?」
「お願いって何が?」
 突然の薫の告白に頭が混乱し過ぎたのか、えみは眉を顰めてウーンと唸ると、乗り出していた身を再びソファへと沈めた。腕を組み、首を傾げ、薫を見る。
 その姿があまりに滑稽で、薫もついつい笑ってしまった。
「今ね、確か、美緒が俺の恋人だって先生が言ったような気がしたんだけど、どうも聞き間違いのようなのね。だから、もっかいお願いします」
「もう一回?」
「はい。正しくお願いします。私、耳悪いみたいなんで」
 こんな時だけ敬語なのか、と半ば呆れながら、笑いを零す薫。
 だけれど、次の瞬間、えみの目をしっかりと見ながら、はっきりと告げた。
「真中美緒は、俺の最愛の恋人だよ」
 これで、聞こえないとは言わせない。凛とした声で、迷いなくはっきりと答えた。それは一生、自分の中で迷いのない決心なのだから。
 えみは、薫の言葉をしっかりと受け止めて、数秒の間黙って薫を見ていたが、次の瞬間顔のパーツが飛び出しそうな勢いで表情を壊した。
「はあっ?!」
「だから、美緒は俺の彼女だって言ったんだよ」
「ちょっと待て! 私知らない、何も知らないんですけど」
「今初めて言ったしな」
「櫻井が美緒の彼氏?! ……ありえない!」
「ありえなくても、そういうことなんだよ」
 大げさに首を振ったり両手を大きく広げたりして反応を示すえみの様子を、薫は愉快に見つめていた。
 えみが吃驚するのも無理はない。誰一人とて、薫と美緒を疑うものはいなかったのだから。……いや、この写真の犯人を除いては、ということになるが。
「いつから?!」
「美緒が留学する少し前から」
「いつまで?!」
 混乱しすぎて質問の意味を理解していないのか、えみはとりあえず思い当たるままを薫にぶつけているようだ。
「いつまでって……一応現在進行形のつもりだけど」
「そうなの?!」
「いけないか?」
「いけなくはない!」
 そこは疑問系ではなく言い切っている。じゃあ何故聞くのかさっぱり理解できないが、一番理解できていないのは本人だろう。薫はえみの様子がおかしくて、ククッと笑いをこらえるのに必死だ。
「そう、留学前から……って! ええっ! そ、そんなに前からあ?!」
「おまえ反応遅いよ」
 全てが一歩遅れている。本当に面白い女だ。
「じゃあ何か。美緒はフリーじゃないってことか?!」
「だからそうだと言ってる」
「処女でもないってこと?!」
「……おまえ、下品だぞ」
「やだー! 櫻井が美緒の奪った!」
「誰も肯定はしてないだろ……」
 色んな意味を含んでの台詞に、薫は困った顔をするしかない。今にも泣きそうな顔をして心配しているえみを見ていると、まるで彼女が娘を持つ父親のように思えてくるから不思議だ。薫のことをケダモノだなんだのとブツブツ言っている。
 だが、幾分か落ち着いたようで、えみはハッと何かを思いついた。
「あ、てことは、櫻井が一度休職してたのって、美緒を追いかけるため?!」
「お。勘いいじゃないか。正解」
 ニッコリと薫が認めると、えみは脱力してだらんと肩を落とした。

 脱力のあまり、思考さえも緩やかになる。そして口調さえも。
「そんなに前からだったなんて……。でも、そうだったんなら、私に言ってくれたらよかったのに。美緒はずっと片思いしてると思ってたよ」
 えみは口を不服そうに尖らせた。
 まるで騙されていたかのようだ。だが、黙っていただけで欺かれていたわけではないから、えみも責めるに責められない。
「バカだなあ。俺が相手だから、おまえにも言えなかったんだろ。普通の恋愛だったなら、言ってるに決まってる」
「……そっかあ。そうだったんだあ」
 今になって、何故美緒がずっと恋愛のことを秘めていたのか、えみにも納得できた。美緒の不安そうな顔も、単純な恋ではないことも。
 ずっと、自分は信用されていないのではないかという不安を抱いていたのだ。自分が思っているよりも、美緒に思われていないのではないだろうか。そんな不安がえみを襲っていた。
 でも、こうして薫に言われると、その全てに納得がいく。校医と生徒の禁断の恋だったからこそ、美緒は何も言えなかった。片思いではなく、成就していたからこそ言えなかったのだ。言えばそこから何かが崩れ出しそうな、そんな不安な美緒の気持ちをえみはすぐに想像できた。思われていなかったわけじゃない。そう思うとなんだか嬉しくて、ついついえみの目元が綻んでしまうのを感じていた。
「聞いたからには、おまえも今から共犯だからな」
「共犯って……」
「話を戻す」
 薫が再び写真を手に取り、えみの目の前へとかざす。現実を帯びた緊張感が二人の間を満たして、えみは写真を見据えた。一度は、美緒のためを思って答えるのを躊躇った。でも、真実を知り、薫が何を言わんとしているかが分かり、えみはもう一度思いを駆け巡らせた。
「この写真を誰かが美緒の元へと送りつけたんだ。俺と美緒の仲を知っているかは分からないけど、明らかに美緒を傷つけるために送りつけたということくらいはわかるだろう。癪な話だけど、おかげでまんまと美緒は傷つけられた」
「じゃあ、ずっと休んでたのって……」
「俺に会いたくなかったんだろう」
「え? どうして?」
「美緒は、この写真をそのまま受け止めて誤解してる。俺と結城先生の間には何もないけど、こんなものを見せられたら誰でもそう感じて当然だよ」
「弁解は?」
「しようと思っても、ずっと避けられてるしな」
「でも、だったらどうして櫻井を責めないの? 普通は写真叩き付けてでも白状させるでしょ」
 えみの問いに、薫は少し悲しげな笑顔を見せた。
 えみも、聞いてしまってからすぐに答えを見つけてしまう。
「美緒だから、だよ」
 薫の返答に、えみは心の中で大きく納得し、そして聞いてしまった自分をバカらしく思えた。
 普通の女なら、問い詰めて、泣き喚いて、納得するまで恋人を責めるかもしれない。でも、優しい美緒だから。物分りの良さが災いして、優しさが邪魔をして、自分の中に気持ちを閉じ込めてしまうだろう。言わないんじゃない。言えないのだ。それは、優しさと紙一重である、弱さ故であることを、親友のえみも勘付いた。
「でも、誤解させてしまった俺にも責任はある。だから俺は、美緒を責めようとは思わないよ」
「……でも、きっかけを作ったこの写真を許す義理はないよね」
「そういうことだな」
 お互いが目を合わせ、やっと話が通じ合った。美緒を傷つけるものには容赦はしない。それは、親友でも恋人でも同じ意見だ。
「誰だと思う?」
「先生も勘付いてるんじゃないの?」
「まあ、大概はね」
 ニヤリと笑うその思惑に浮かぶ人物は、きっとえみと同じだろう。
 えみは少しだけ小さく深呼吸した。もう、その名を口にすることに躊躇いはなかった。
「樹多村綾乃だと、私は思う」
 薫が何一つ表情を変えなかったことが、お互い同じ人物をイメージしていたことを肯定した。
「ずっと前から、美緒に対して敵対心が強かった。元々そんなに仲が良かったわけじゃないけど、昔は普通だったんだよ。でも泉先生と出会ってから美緒への態度が豹変してエスカレートしたの。たぶん、泉先生が美緒と仲良くなって、その縁で先生と美緒の関係が近づいたことに妬んだんじゃないかと思う。美緒は可愛いから、嫉妬の対象にされるのは簡単なことだよ。でも綾乃は泉先生と美緒がデキてると思ってるから、櫻井と美緒の関係には絶対気付いてないはず。私も気付かなかったくらいだもん。……でも、同じ人を好きだからこそ、美緒が先生に惹かれてるのはわかってるかもね。事実美緒が誰と付き合ってたって、自然と惹かれてしまうものには逆らえないから」
 白状していく中でも時折ちらつかせるえみの切ない気持ち。薫は黙って、えみの言葉を聞いていた。自分の思っている通りのことだとは言え、綾乃の気持ちを考えると、一概に悪だと決め付けられないところは、えみも薫も同じだったかもしれない。
「今の、美緒と樹多村の関係は?」
「依然として最悪。綾乃が美緒に心を開かないからね。というよりは、譲ろうとしないから」
「そのようだな。ついさっき見た感じでも、それは伝わってきたほどだから」
「綾乃のこと、どうすんの?」
「別にどうも。どうせ、何もしてやれないしな」
「美緒のこと、話すの?」
「まさか。卒業するまで、誰にも言うつもりはないよ」
「でも……」
「だからと言って、このまま放っておくわけにもいかない。このままじゃ樹多村の気持ちを誰も救ってやることはできないしね。美緒の気持ちを考えると尚更だ」
「美緒の気持ちって……」
「もう限界だろう。優しさと繊細さは紙一重だ。優しさだけでは、激情は受け止めきれるものじゃない。素直な分、上手く交わせもしないだろう。美緒の心は傷だらけのはずだよ。校医が口を挟むことじゃないとは思うけど、これ以上は、俺も見過ごせない」
 憎しみというものは、どこかでストップをかけない限り、延々と膨らんでいくものだ。直接的に薫が関係ないとは言え、綾乃の気持ちに整理がつかない限り、美緒はずっとつらい思いをすることになるだろう。
 幼さゆえの残酷さ。美緒を傷つけることでしか綾乃は気持ちをセーブできないのかもしれない。
「たとえ樹多村が可愛い生徒でも、俺にとって一番大事なのは美緒だからね」
 恋人のためにこそ、残酷になれて当然だと、薫は言った。誰にでも優しいように見えていて、実はけしてそうではない。優しくできるのは、ある程度のラインまでで、そこを越えられるのは、恋人の美緒だけに過ぎない。たとえどんな事情があろうとも、そして相手が女であろうとも、美緒を傷つけるものを許さないのだと、そう言った。甘く優しく見えるその果て、要では冷徹に判断を下す男だった。
「先生ってさあ、もっと軽いのかと思ってたけど、意外に彼女思いなんだね」
「なんだ、急に」
「だって、そんな顔初めてみたんだもん。いつも女の子たちの前で見せる優しい笑顔って、実はニセモノだったんだなあって思っちゃったよ」
 普段、笑顔を絶やさない薫だからこそ、美緒のことを真剣に考えている様は、えみから見るととても不思議だった。それでいて、すごく惹かれるものを感じていた。想われている美緒が羨ましいと、心底思った。
「フェイクは上手く使ってこそ意味があるんだよ。使い分けられないなら、フェイクとは言えないだろう?」
「意味がよくわかんない」
「本物が確立してあるからこそ、フェイクがあるってこと。美緒を大事に思える俺がいてこそ、そこには明確なラインがある。恋人と、そうでない人との明確なラインがね」
「ライン……」
「それを混同してしまうようなら、端から恋人以外の人間に優しくなんてできないよ。そんなの、ただのお人よしか、外面がいいだけの優柔不断と言ってもいい」
「確かに櫻井は、そのどっちでもないね」
 むしろ、普段柔らかなイメージを漂わせている薫の、シャープな視線の奥に秘める思惑は、人の心を凍てつかせるほどの譲らない厳しさがある。
「恋人が一番だからこそ、恋人だけが知る俺の素顔っていうのがあってもいいと思う。まあ、そういうのは、美緒が理解してるならそれだけでいいんだ。他の女とは違う、というのを美緒が感じてればいい。俺の本当の姿は美緒だけが知っていればいい。おまえたちは別に知らなくていいし、知る必要もない」
「あ、今私のこと、その他大勢の一人に加えたでしょ?!」
「さあ?」
 アハハ、と笑う薫に、えみが呆れた顔をした。
 ここまで美緒と他の人間との間に明確な差を付けられると、あえて天晴れという気持ちになる。その他大勢としては少し妬けるが、美緒の親友としては文句などない。薫とここまで深い話をしたのは初めてだっただけに、えみの中での櫻井薫というイメージが随分と変わっていった。
 誰にでも優しく、フランクな校医ではない。したたかで、残酷で、頭が切れて、それでいてどこまでも優しく強い一人の男というイメージに。
 それは、いつか薫が言っていたある言葉を思い出させる。
「ねえ、先生。一つ聞いてもいい?」
「なんだ?」
「先生にとって美緒って、どういう存在?」
 薫は、少しだけ考えると、すぐさま答えを思いついたのか、えみの目をじっと見据えてきた。それは、以前全校生徒の前で語った時の薫を彷彿とさせた。思えば、あの時が最初で最後だったのかもしれない。薫が、フェイクではなく、真実を皆の前で語ったのは。
 ――あの時彼はこう言った。
「そうだなあ……」
 彼女と一緒にいられることが最高のプライドだ、と――。
「最高のプライド、かな」
 あの時と同じ台詞を、今もこうしてあっさりと言ってのけることのできるその潔さに、えみは素直に降参した。何を言っても、この男は揺るがない。愛する人を誇りに思える、そんな人間に心底憧れた。思われる美緒よりも、そう思える薫の姿に、本気で憧れた。
 薫の言葉を、いつか美緒にも伝えてあげなくては。そんなことを、えみは思っていた。
「二回も同じこと言うなんて、先生も芸がないねー」
「二回? 俺、前にもそんなこと言ったっけ?」
「言ったよ。全校生徒の前でいったじゃん。彼女と一緒にいられることが最高のプライドだって。……私さあ、あの台詞が今でも胸に焼き付いて離れないんだよね。すごく格好いいって思った」
「悪いな。おまえに対する台詞じゃなくって」
「そういうことを言ってるんじゃなくて!」
 からかう薫にまんまと乗せられて、えみが憤慨する。
 だけれど、目の前にいる校医に、素直に尊敬の念を抱いていた。
「なあ、藤井」
「何?」
 少しだけ落ち着きを漂わせた薫の声には、優しさと共に寂しさも感じさせた気がして、えみはすぐさまその声に耳を傾けた。
 薫は、えみの瞳の奥に、明らかに美緒を見ていた。
「美緒は今までずっと、恋人が誰にも言えない秘密の人だというだけで、何もかもを一人で全部受け止めて、一人でずっと頑張ってきた。俺といつも対等であろうと一生懸命だった。まだ十七歳なのに、一人の女として、この恋を守り抜こうと必死だったんだ。俺は、美緒のためならなんだって出来るよ。何を捨ててもいいとさえ思う。でも、恋人だけでは補えない部分だってあるだろう。伝えられないこともあると思う。だからこれからは、美緒の背負うもの、少しだけ一緒に背負ってくれないか」
「え……?」
「美緒の気持ちばかりを優先して無茶な頼みごとをしているとは分かってる。でももしおまえが美緒のことを本当に大事に思ってくれるのなら、美緒が抱え込んでるものの少しでもいいから、一緒に感じてやってくれないか」
 ――完敗だ。この男にそれを言われて、NOと言える人間がこの世にどれだけいると言うのだろう。愛する親友をここまで愛してくれる男に、えみは心から感謝する。美緒を愛してくれてありがとう、とそう思った。
 愛されている、愛されている。人のことばかりに一生懸命で、自分のことはあんなに我慢ばかりする子が、ありったけの愛で包まれている。
 えみがずっと欲しかったものだった。薫に、美緒を愛して欲しかった――。
「何泣いてんだよ」
 きつく言われたわけではない、むしろ優しくかけられた声だというのに、えみの体がビクリと竦んだ。薫の慈愛に満ちた眼差しは、えみの視界をより霞ませた。
「泣くな。まるで俺が泣かしたみたいだろ」
 指摘されても気付かないまま、えみの瞳からは、次々と涙が零れ落ちていた。大きな涙粒が、ポタポタと指先に落ちる。泣いているという感覚がないのに、心の中からポロポロと溢れ出して止まらないのだ。
「あ、あれ。おかしいな。私どうして泣いてんだろ……」
 拭えど拭えど溢れ出す涙は止まることを知らず、えみは一生懸命に自問自答している。薫は微笑んで、えみの素直な姿を優しく見守っていた。自覚のないまま泣いてしまうのは、それだけえみの中の美緒の幸せを思う気持ちが大きいからだ。
「なんかホッとしちゃって……。美緒が一人じゃないんだって思ったら、嬉しくて。嬉しくて、なんだか……。ごめん先生。自分のことなのによく分からない」
「そっか」
「どうしよう。私、こんな風に泣いたの初めてだよ」
 美緒が愛されているということが、ただ素直に嬉しくて、心が震えてしまう。
 えみは、グイッと拳で涙を拭って、悪戯っぽく笑った。薫はとても嬉しそうだった。
「……美緒は、今までずっと私のこと一番分かってくれる人だったんだよね」
 昔を懐かしむのは、美緒の存在がそれだけ長くえみの心に住みついている証拠だ。
「私のために泣いてくれて、私のために怒ってくれて、そして笑ってくれた。見返りを求めない優しさに出会ったのは初めてだった。いつも美緒が笑っててくれたから、今の私があるって思う。すごくすごく大事な人なの。だから、櫻井に頼まれなくたって、私はいつだって美緒のためなら何だって背負うっつーの」
 自信ありげに言い切る、その力強さを薫もしかと受け止める。
「……ありがとう」
 えみは、薫の真摯な眼差しを受けて、深く頷いた。
 なんだか、また涙が出そうだった。
「で、私は何をしたらいい?」
「協力してくれるんだ」
「最初からNOと言わせる気がないくせに、よく言うよね」
 絡みあう視線に、既に共犯者としての思惑が巡り始める。確信は決心へと変わった。
「たまには、憎まれ役を買って出るよ。美緒のためなら何でもやれる」
「随分と頼もしいな」
「だって、美緒は全部許しちゃうんだもん。だから、私くらいは美緒の盾になってあげないと、美緒が傷つくばかりで見てられないじゃん」
「ふーん」
「言葉でも態度でも、今までかなり綾乃に嫌な想いをさせられてきたのに、美緒って一度も綾乃を責めたことがないんだよね。前に、どうして何も言わないのかって聞いたことがあんの。そしたらこう言った」

『責めるだけなら誰でもできる。嫌いになることなんて簡単なことだよ。でも私は樹多村さんのことをちゃんと分かってあげたいの。人を傷つけることに、理由がない人なんていないから――』

「私だったら、絶対大喧嘩になって絶縁してるよ。綾乃の気持ち、わからないわけじゃないけど、理解しようとは思えないと思うんだよね。自分に対して悪意を向ける人間なんて、こっちから願い下げだよ。でも、美緒がそう言った時、なんかもう敵わないなあってそう思っちゃったから、だからせめて私がそんな美緒を守ってあげようってそう思ったの。だって、逃げることより受け止めることの方が、勇気が何倍もいる分、傷ついちゃうじゃん」
 我慢をして耐える、そんな美緒の表情が二人の脳裏を過ぎる。それはどこか抱きしめたくなるような衝動と、憂いを感じさせる哀愁を漂わせていた。
 『大丈夫』と彼女は口癖のように言うのだろう。本当は、大丈夫でなど、ないくせに。
「傷だらけだろうな、心の中はきっと」
「だから、私が少しでも美緒を守ってあげたいの」
 困ったように笑うえみを、薫は頬杖をついて優しく見守っていた。
「いい女だな」
「美緒が?」
「いいや。両方」
 対照的だけれど、互いの足りないところを補っている親友。美緒にこんなにも頼もしい親友がいることに、薫も安心を見せていた。
「よく分かってんじゃん、櫻井」
「次呼び捨てにしたら、罰ゲームな」
「……勘弁して下さい。恐ろしい」
 共に戦える新しい共犯に、二人は未来が切り拓ける瞬間を見た。

Copyright (C) 2006-2011 Sara Mizuno All rights reserved.