氷花

21.サヨナラの代償

 裏切ってしまったと思ったあの日から、薫に会うことはずっとなかった。
 今までなら、会わない日があるのは普通のことだったのに、こうなってしまった今では、会えない一日が、苦しく積み上げられていく。校内で見かけたとしても、けして目を合わせることはない。彼の視線が、美緒を追いかけることもなかった。その状況に、切なく痛む心。
 一方、ハルカと一緒にいる時間は長くなった。
 何をするわけではない。今までと大して変わらず、友達としてそばにいるだけだった。抱き締めたりすることも、何一つない。ハルカの悲しい顔を見ずにすむように、ムリをして明るく振舞うこともあった。大概、ムリをしている時に考えていることは、薫のことだった。だが口が裂けてもそのことは言ってはいけない。そうでないと、決心を固めたことが無駄になってしまうのだから。
「美緒」
「…………」
「美緒?」
「…………」
「美緒!」
 大きく名を呼ばれてハッとした。目の前には、心配するように自分を見つめるハルカの姿があった。
「あ、ごめん……何?」
「疲れてるんだったらもう帰るけど」
「別に疲れてなんかないよ。どうして?」
「それはこっちが聞きたいけど」
 いつの間にか、手に持っていたシェイクスピアの本は、パラパラと捲られていて、読んでいたページがわからなくなっていた。考え込むあまりに、手の力が抜けてしまっていたのだろう。パタッと本を閉じ、ハルカに微笑を向けた。
「ムリすんなよ」
「大丈夫だよ」
「そう……それなら別にいいけど」
 放課後の図書室で、二人で過ごすことはもう日課になっていた。何を話すわけでもなく、ただ二人でいるだけ。けれど、あえて二人には言葉などいらなかった。元より、多くを話し合って関係を築いてきたわけではない。ただ、以前とは違う何かが美緒の中にあることを、ハルカも気付かずにはいられなかった。
 それから後、また何十分か本を読み耽っていると、美緒の隣を一つ空けた向こう側の席に、一年生と思われる女の子三人が座った。本は手にしていない。たぶん、雑談か何かだろうと気にしてはいなかったのだが、話し始めた内容に、美緒の耳はその言葉たちを追いかけずにはいられなかった。
「櫻井先生、いなくなっちゃうって本当なの?」
「らしいよ。遠くの病院行っちゃうんだって。なんでも、前からあった引き抜きの話とか言ってたよ。結城先生が言ってたもん」
「遠くって……どの辺の?」
「確か、櫻井先生の恩師が外国の有名な病院にいるらしくて、そこって言ってたけど、詳しくは知らないな」
「えー……やだあ……」
「私も嫌だけど、こればっかりはしかたないよね……」
 結城先生、という言葉に、その話が現実味を帯びていることを感じずにはいられなかった。彼女からの情報だとすれば、それは噂ではなく間違いのない事実だろう。何も知らなかったとは言え、突然の出来事に、美緒の体は硬直した。心臓が、凍るかのように、片隅から冷えていく。頭の中で、薫の姿を思い浮かべながら、今自分がどうするべきなのかを必死に考えた。
 けれど、思考よりも先に、感情が走りだす。何を考えたかもわからなかった。ただ、真っ白になった頭は、一番大事な人のことだけを鮮明に思い浮かばせた。
「どうした?」
 本はそのままに、急に立ち上がる。声をかけるハルカには目もくれず、ただ行くべき場所へ行こうと足が勝手に動こうとした。途端、痛いほどの力で、細い手首が掴まれる。
「行くな」
「ハルカ……」
「行くなよ」
 美緒だけでなく、ハルカにも聞こえていた彼女達の話。他の男のところに行こうとする彼女を、止めないわけはなかった。懇願するように、彼女に留まることを願う。
 けれど遠くに聞こえる彼女を止めるハルカの声は、美緒の耳には、全く届いていなかった


 ここまできて後悔する。
 何を選んだつもりもなく、ただ保健室へと駆けていた。久しぶりに見るドアに、何も言えず佇む。感情のまま駆けだしてきたのはいいものの、ここから先どうしたいのかは全く考えていなかった。
 行かないで欲しいと告げる? そんな資格がないことは、美緒が一番わかっていた。自分から、薫と距離を置くことを決心したのだ。それを今になって、どこへも行かないで欲しいなどとワガママを言えるほど、美緒は身勝手ではなかった。
 ゆっくりと後ずさりして、この場を離れようとする。気になることはたくさんある。けれど、それを聞く勇気は、美緒にはなかった。背に受けていた夕日を浴びるように、保健室のドアに背を向ける。
 だが、次の瞬間、背後のドアがガラッと開けられ、強い力で腕を引かれ、中へと引きずり込まれた。
「……っ」
 壁に押し付けられた背中。乱暴に塞がれる熱い唇。息もできぬほどの情熱的な口付けに、段々と足の力が抜け落ちた。こんな風に美緒を翻弄できる口付けをする男なんて、彼以外にいるはずもなかった。
「どこに逃げる気?」
「逃げてなんか……」
「嘘ばっかり。机の前の窓からおまえが保健室へ向かって走ってる所が見えたんだけど、あれは俺の勘違いか?」
「それは……」
 薫がいつも仕事をしている机からは、校舎と校舎とを繋ぐ渡り廊下が見える。保健室へは、そこを通ってこなければならないのだが、どうやら美緒の姿をも捉えていたらしい。久しぶりに感じる愛しい人の息遣いに、美緒の体も少しずつ熱を帯びだしていた。
「それとも何? 今まで散々冷たくしといて、急に後悔でもした?」
「先生……」
「ごめんなさいって、言う気にでもなった?」
 意地悪く、美緒の耳元で囁く。放課後の保健室には、もう誰の姿もなかった。静まり返った暗い部屋は、ここに二人しか居ないことを強調して、淫靡な雰囲気を醸し出している。
 壁に押し付けられたままの体は逃げ場がなく、ただ薫の言う通りにしかできなかった。美緒の足の間に、薫の膝が入ることで、一歩さえ動かすことを許さない。
「俺のこと散々蔑ろにしといて、今頃になって来るなんて悪い子だな」
「わたし……っ……」
 言い訳をしようとすると、それを許さぬように塞がれる唇。何かを話そうとしても、その度に薫の舌が全てを絡めとり、言葉にならなかった。未だ慣れない口付けに翻弄される。目を開けることも敵わぬほど、捕らわれていた。時折息苦しくて漏れる吐息が、いやらしく小さな喘ぎとなる。
「キスだけでこんなになるほど、男を知らないくせに」
 崩れ落ちそうな美緒の体を抱えあげ、一番近くにあったベッドへと運んだ。激しい口付けに朦朧としていた美緒は、自分が何をされているのかも理解できず、ただされるがままに受け入れる。ベッドへと押し倒すと、彼女の上に跨るように、薫が覆いかぶさった。長身であることを象徴するかのように、すっぽりと美緒の体をも覆い隠す。
「俺のことなめてると、どうなるか教えてやらなくちゃな」
「どういう……意味……」
「さあ。自分の身を持って感じればいい」
 再び美緒の唇にキスを落とした。最初は、ゆっくりと唇をなぞるように舐め、そして彼女の中へと容赦なく入っていく。息も出来ないような激しい口付けに、美緒の意識はまた霞がかかったように朦朧とした。抜け落ちる体の力。まるで、麻薬でも打たれたような浮遊感に、薫のシャツを掴むことしかできなかった。
 そんな美緒の様子を楽しむかのように、余裕を見せながらキスを続け、右手で彼女の上の制服を捲し上げる。現れた素肌に触れるか触れないかのように指を這わすと、背中に手を回して器用にブラのホックを外し、下着の中に手を入れ、柔らかい胸の感触を楽しんだ。
「あっ、ダメッ……」
「ダメじゃないだろう。本当は、嫌じゃないくせに」
 首筋に舌を這わせ、柔らかい胸を揉みしだく。感じる甘い肌の味に、軽く眩暈を覚えた。触れる度に熱を帯びる体に、美緒が女であることを感じずにはいられなかった。言葉ではダメだと言いつつも、体は薫を欲している。それが何より嬉しかったのだ。彼女に触れることができるのは、自分だけだと再確認できたから。
「ワガママは許さない。他の男に、キスさせたくせに」
「それ……は……」
「おまえの体に触っていいのは、俺だけだ。そうだろ?」
 首筋に這わせていた唇は左胸をたどり、その頂きにある小さな突起を捉えた。口に含ませ、柔らかく舐めていたかと思うと、時々甘く噛んでみたりする。その度に、体中に電気が走るような快感を覚える美緒は、背を仰け反らせ、小さく喘ぐ。声に出すのを必死にガマンしているのだろう。けれど体は正直で、薫が触れる度に声が漏れてしまう。いつの間にか上着を全て脱がされ、白く滑らかな肌が薫の前に晒されていた。
「あれは……ハルカが無理やり……」
「俺の前で他の男の名前を呼ぶな」
 薫が美緒の口を左手で塞いだ。愛する人の口から、自分以外の男の名など聞きたくはない。こうして二人で愛し合う行為に耽っている最中に、他の男を思い浮かべるなど、許せなかった。
 軽い嫉妬が、心の中で芽生える。そしてその嫉妬心は、美緒の体へと容赦なくぶつけられた。
「……んっ!」
 ビクリと美緒の体が竦む。口を塞がれているため言葉にはならないが、明らかに今までより一番大きな反応が美緒の中に起きた事は明らかだった。薫の指が、既に湿り気を帯び始めていた美緒の秘部へと触れたのだ。下着は、膝ほどまでに一気に引き下ろされ、露になったソコへと迷うことなく触れていた。快感のあまり閉じようとする膝は、股の間に割りいれられた薫の体のせいで閉じる事ができない。体中が強張る。全神経が触れられている部分へと集中していた。
「もうこんなにして……いやらしい女だな」
「んう……クッ……」
 充分すぎるほど潤っている蜜壷に指を差し入れる。クチュクチュと、卑猥な音が保健室中に響き渡った。その音を耳にするたびに、美緒の羞恥心は煽られ、耳を真っ赤にする。薫は、その熱さをも冷ますように、口は塞いだまま耳に舌を這わせた。薫の体を押しのけようと抵抗する美緒の腕にはほとんどと言っていいほど力はなく、ただ男の体にされるがままになる。
「他の男にフラフラするくらいなら、大事になんてしないで、もっと無茶苦茶に愛しとくんだった」
 本当なら、薫もこんな強姦のような抱き方はしたくなかった。柔らかく、優しく、慈しむように抱きたいのに……。初めて抱いたあの日から、美緒の気持ちを守るように、手を出してこなかったのだ。触れたくて、抱きたくてたまらないのを我慢して、大事に大事に守ってきた。
 けれど今になって思う。最初から、自分なしでは生きられないような女にしておけばよかったと。抱いて抱いて、薫のことだけしか考えられなくなればいい。美緒の記憶の中に、薫という存在しかなくなれば、どれだけ……。
 最初に抱いたあの日は、愛しさで胸がいっぱいだったのに、今はこんなにも切ない。繋がることで、本当にひとつになれることができたなら、と願った。涙を滲ませる美緒の目を見て、余計に刺激される恋心。薫の中にある鬼畜な感情が欲望を呼び起こし、もう歯止めをかけることができなくなっていた。目の前で快感に歪む愛しい女を、抱かずに済ませるほど、彼の恋心は理屈では片付けることができない。
「やだ……っ。先生、こんなの……」
 塞がれていた口がやっと開放されて、美緒はやっとゆっくりと息をつくことができた。いつもの薫ではない怖いほどの男の威圧感に、美緒は身を震わせた。正直な体は、薫に愛撫されるたびに快感に飲み込まれていく。けれど、心は薫に怯えを感じていた。今までにこんな抱き方をされたことはない。押し付けるような、こんな抱き方をされたことなど……。
「ダメッ! ……そこは……っ!」
 スカートを下着ごと引き下ろし、両足を抱え込んだかと思うと、薫が突然その間へと顔を埋めた。指は再び蜜壷に突き入れられ、そして唇はその上にある蕾を捉える。指とは比べ物にならない快感に、ビリビリと美緒の体に電気が走った。ゆっくりと小さな蕾を舌でなぞられる。それだけのことなのに、我慢ならない快感が背筋を通るようにかけ上る。体は更に強張り、痛いほどの快感に、我慢するように身を硬くした。逃げようにも、薫の腕がしっかりと腰を掴んでいて動くことさえ敵わない。シーツをギュッと掴み、顔を背け埋めることで必死に耐えた。そんな美緒の様子を見て、余裕の薫は止めることなく愛撫を続ける。
「体の力、抜いてみろ」
 薫の言う通りに、全身に入っていた力をゆっくりと抜いていく。すると、さっきまでは痛いほどだった快感が、柔らかく、そして確実に美緒を満たしはじめた。
 気持ちいいことには変わりはない。けれど、逃げたくなるような快感ではなく、もっとして欲しいと思えるような快感が美緒を包み始めたのだ。
「……いい子だ」
 まだ二度目の行為を経験する女に、薫もそうそうムリなことはしない。ただ優しく優しく、蕾を舐めあげ、そして時折軽く吸ってみたりした。薫の髪を掴み、悶えるように甘い声をあげる美緒に、愛しい気持ちがこみ上げてくる。もっともっと感じさせたくて、執拗なほど愛撫し続けた。溢れだす蜜は、もう充分すぎるほどで、足の間を伝い、シーツにしみを作る。
「先生、おねが、いっ……もう……」
「なに? はっきり言わないとわからない」
「お願い……っ」
 震える腰に、もう指では我慢できなくなっていることがわかる。差し込んだままの指は、隙間のないほど締め付けられ、中を掻き回そうにも困難なほどになっていた。舐めあげていた蕾は、もうぷっくりとその芽を出し、赤みを帯びている。彼女の体に快感の限界が近いことを意味していた。
「何が欲しい?」
「そんな……言えません……」
「体はこんなに正直なのに、相変わらずこの口は天邪鬼だな」
 そう言って体を起こし美緒に覆いかぶさると、喘ぐ声をも拾うように、彼女の唇を奪った。息苦しそうにキスを受け入れる美緒に、更に追い討ちをかけるように激しく舌を絡ませる。目にうっすらと涙を浮かべて、うつろな目で自分を見る美緒に、なぜか泣きたくなるような愛しさがこみ上げた。体だけでは足りないほど、本当に彼女のことを愛しているのだと、そう心から思った。抱き締めて壊すことができたなら、どれだけいいだろうと、理不尽な思いが浮かんだのだ。
「じゃあ、約束して」
「やくそく……?」
「俺以外の男に、触らせないこと」
 それが、ハルカであっても誰であっても、許さない。この体に触れていいのは、薫だけなのだから。
「もう一つ。俺以外の男のために、泣かないこと」
 それを君に求めるのは酷だとわかっている。けれど、見たくなどなかった。たとえ友達であろうと、誰かのために涙する君の姿など。
「今おまえが、誰かのために側にいてあげたいと思う気持ちはちゃんとわかってるから……。だから、それを罪悪感に思わなくてもいい。だけど、それでもおまえが自分を責めるのなら、それだけを俺のために守って欲しいんだ」
 朦朧とする意識の中でも、薫の言っていることが、ハルカのことであることはすぐにわかった。この男は全てわかっている。わかった上で、美緒を責めることなく、許してくれていた。それでも尚、愛してくれると言っている。そんな、薫の広い心を目の前にして、美緒は忘れていた何かを思い出そうとしていた。
「私……先生のこと裏切ったんですよ……?」
「バカだな。俺は最初から、全部許してるだろ。何回言ったらわかるんだよ」
「でも……」
「ちゃんとわかってる。おまえが一番好きなのは俺だよな?」
 大事なのは一つだけ。美緒が好きなのは、誰なのかということ。それ以外のことを、求めたりはしない。
 薫の言葉に、美緒は何も言わずただ大きく頷いた。
「だから、約束。わかった?」
「はい……」
 さっきまでの怯えはもうなかった。ただ、薫の広い心に包まれて、体だけでなく心をも快感を覚える。目の前にいる彼が、本当に愛しくて愛しくて、早く一つになりたいと心から思った。
 触れられたいと思うのはこの人だけ。一つになりたいと思うのもこの人だけ。それは、これから先どんなことがあっても変わりはしないだろう。
「体の力、抜いて」
 暗い部屋の中で見えるのは、互いの表情だけだった。互いに触れる素肌に、温もりに、それ以上を求めて肌を重ね合わせる。薫は、自分のモノを美緒の秘部にあてがうと、ゆっくりと中へと進入した。処女ではないと言え、まだ二度目の美緒の体は固く、ゆっくりとゆっくりと差し入れる。痛くないように、自分が拒否されることのないように、口付けをしながら重なり合った。充分に潤っている美緒の中は、無意識に薫を締め付け、この上ない快感を与える。
「愛してるよ……美緒……」
 耳元で囁きながら、美緒の体が自分のモノに馴染むまでじっとしていると、彼女の体の力が抜けた頃合を見計らって、ゆっくりと動き始めた。
「んっ……あっ……」
 薫の動きに合わせて乱れる呼吸。初めての時と違って、美緒に痛みはなかった。ただ、最初は違和感しか感じなかったものが、薫の動きに合わせて、段々と快感を呼び起こす。奥まで突かれるたびに、脳髄まで走るような快感が、美緒を包んだ。背中に回す手は、快感が増すたびに、その綺麗な素肌に爪あとを付ける。
「先生……どこにも……行かないでね」
「こんなに近くにいるのに?」
 朦朧とする快感の中で、本当は言えないと思っていた想いが、抱かれている腕の中では素直に言うことができた。どこにも行かないでほしい。こんなに温かい腕を放すなんて、できるわけがない。
 けれど薫は、その質問に胸の痛みを覚えながら、ギュっと美緒を抱きすくめた。心は苦い思いを抱えているのに、声は優しさに包まれている。大丈夫だよ、と小さく耳元で呟いた。喘ぐ可愛らしい声に、何かを誤魔化しながら……。
「愛してるよ……」
 何度も何度も耳元で繰り返される言葉。言葉とともに感じる薫の乱れる呼吸に、奥底で眠る女の感情が刺激される。自分の体が彼をこんなにも乱れさせている。そう思うと、初めて感じる充実感が美緒を満たした。愛しているというその言葉を胸に感じながら、薫の体を全身で感じる。心も体も、全てで愛されているような感覚に陥った。
 薫しか見えない。愛しくて愛しくて、求めるがままに、自分の全てを与えた。
 快感の波が押し寄せ、美緒を意識の崖っぷちへと追いやる。
 瞼の裏にチカチカと色のない光が走ると、意識が飛んでしまいそうなほどの衝撃に包まれそうになった。必死で抵抗する。けれど、薫が動く度に、体はもう言うことを聞かず、ただ飲み込まれるしかなかった。
「……美緒」
 自分の名を呼ぶ彼の声を聞いた後、彼女の意識は完全に色を失った。

 ぐったりと、ベッドに眠る美緒の肩に優しく布団をかける。髪に指を絡め、軽くすくと、サラサラとした感触が指に残った。顔にかかる髪を、耳元までかきあげ、白く柔らかい頬へ、唇を落とす。
「サヨナラ……」
 唇を離し、そう呟くと、寂しそうに微笑んで彼女から指を離した。

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