華水の月

26.抱きしめたい

 左手に鞄、右手に携帯電話をしっかりと握り締めて、キョロキョロと辺りを見回す。目的の人物はどこにも見当たらなくて、美緒は携帯に視線を戻した。今日初めて知ったばかりの番号に、さっきからずっとかけ続けている。けれど、相手は一向に電話に出る気配がなかった。
「ったくもお……これじゃいつまでたっても会えないよ」
 高校とは明らかに違う、広大なキャンパスの中にいる女子高生は結構目立つ。通り過ぎていく大学生が、ジロジロと美緒を見ては去っていった。その視線が居たたまれず、また携帯に目を戻す。
 今日登録したばかりの電話番号。
 『泉くん 090−○○△△−××××』
 画面に浮かんでいるこの番号に、何度もかけているのに、泉は全然反応を示さない。もしかしたら、知らない番号だからという理由で出ないのだろうか。それとも単に、気付いていないだけなのか。
 美緒は薫に用事を頼まれて、学校帰りに泉の通う大学へと訪れていた。
 元々、その大学は美緒の家から近いこともあって、自らすすんでその用事を頼まれたのだ。今日の薫は多忙の様子で、明らかに困っていた顔を見ると、何もしないではいられなかった。
「早く渡したいんだけどな……」
 薫の家に忘れていったという泉の財布。どうやら昼間に泉から薫へ電話がかかったらしく、仕事帰りに大学まで届けてくれということだった。その時は、それほど忙しい様子もなく、軽く承諾してしまったものの、いざ放課後になれば外に出られる余裕など全くなくなってしまった。そこで、美緒に泉の携帯番号を伝え、彼女に財布を託したというわけだった。
 何度目かのコールの後、訪れる小さな沈黙。そしてその後、留守電メッセージを伝える規則的なアナウンスが流れた。もう十回ほど聞いたこのアナウンスだが、今回は全部聞き終えるのを待って、発信音の後に、緊張気味に話しはじめた。
「……美緒です。今ね、泉くんの大学に来てるの。先生に頼まれた泉くんの財布を渡そうと思うんだけど、どこにいるかわからなくて……。気付いたら連絡下さい」
 もしも、知らない番号だからという理由で泉が電話を取らないのなら、きっとこのメッセージを聞いてかけ直してくるだろう。闇雲に動いたところで、これだけ広いキャンパスならば、泉を見つけられないような気がして、とりあえず美緒は近くにあるベンチに座った。座った途端、小さく溜息が零れた。
 やはり、慣れない場所というのは緊張する。しかも、高校の制服を着ているからという理由だけで、視線を痛いほどに浴びるのだ。その視線に耐えられなくて、なかなか顔を上げられなかった。携帯に視線を戻すが、着信はない。
 すると、目の前を暗い影が包んだ。言わずとも、それが人の影であるとすぐにわかる。美緒は、それが泉だと疑わず、すぐに顔を上げた。
「ねえ、何してんの? こんなところで」
「あ……あの……」
「うっわ……めちゃめちゃ可愛いじゃん。おい、この子超可愛いぞ、来てみろよ」
 泉だと思っていた人影は、全くそれとは違っていた。
 大学生であろう男は、美緒の顔を見て納得するなり、後ろにいた友人二人に話し掛ける。三人とも初めて見る顔だった。特に特徴のない、どこにでもいるような三人。ただ、話し方や雰囲気そのものに嫌悪感を感じずにはいられなかった。
「なになに? 本当だ、大学でもこんな可愛い子は滅多にいないね」
「だろ? やっぱり俺の目に狂いはなかった」
「女子高生がこんなとこで何してんの? 暇だったら、これからどっか行かない?」
 品定めするようにジロジロと美緒を見ては、薄気味悪い笑みをニヤリと浮かべていた。
 最初は、『いいです……』と小さく断っていた美緒だったが、次第に男たちの態度も横柄になっていく。優しく誘っていた口調が強引になっていき、三人のうちの一人が、美緒の腕を掴んだ。振り切ろうにも男の力には敵わず、無理矢理引っ張られて立たされる。その間も、男たちは薄笑みを浮かべては、美緒を舐めるように見ていた。
「や、やめてください!」
「いいじゃん。どうせ暇なんだろ?」
「暇じゃない! 人を待ってるの」
「来てないじゃん。それより俺たちと遊ぶ方が絶対楽しいって。な?」
「やだ、やだ。離して」
 美緒の言葉など全く意味を成さず、引きずられるように強く腕を引かれる。意志とは反して、体は男たちについていくしかなかった。右手も左手も両方掴まれていては、体の自由などないに等しい。周りの人間も見ているはずなのに、見て見ぬフリをする。
 今にも涙が零れてしまいそうだった。悔しくて歯痒くて、戸惑って。そして何より怖かった。
 すると、その時、聞きなれた声が背後から聞こえた。
「そこの四人、ちょっとストーップ!」
 男たち三人が、声のする方へと振り向く。怪訝そうな目で相手を見ていると、その相手がすぐさまこちらへと駆け寄ってきた。そして、腕を掴まれたままの美緒の体を後ろから優しく抱き締めた。
「なんだよ、泉かよ」
「こいつ、俺の連れだから。離せよ」
「連れ? ……嘘つくなよ。まさか横取りしようってのか?」
「いやいや、嘘じゃないし。なあ美緒?」
 耳元で聞こえる泉の声に、必死で頷いた。そんな美緒の態度を、半信半疑な目で三人は見ている。
 彼らの会話からして、どうやら顔見知りであることは覗えた。何ともいえないタイミングだが、泉がここへ来てくれたことに心底安堵した。背を包む温もりが安心を呼ぶ。けれど、掴まれたままの腕が、痛くてたまらなかった。
「ったく、せっかくいい女見つけたっていうのに、また泉の女なのかよ」
「いや、別に俺の女ってわけじゃないけどさあ」
「じゃあいいじゃん。俺らもこの子と遊びたいしさ。譲れよ」
「他にいくらでもいいのいるだろ?」
「これだけ可愛いのは滅多にいない」
「まあ、そうかもしれないけど」
「だから、譲ってもらうよ」
 男が、強引に美緒の腕を引いた。その瞬間千切れるような痛みが走った。腕は引っ張られても、泉に抱き締められた体自体が少しも動かなかったからだ。
「ダメだ。美緒だけは絶対に譲れない」
 いつもとは違う、冷ややかな泉の声が響いた。その声に、心が萎縮してしまう。男たちも同じように感じたようで、美緒からは見えない泉の目を見たまま、少しの間黙り込んだ。
「……なんだよ。いつもの泉らしくねえな」
「こいつだけには触らせたくない。ほら、手離せよ」
「…………」
「離せ!」
「……わかったよ」
 泉のきつい口調に怖気づいたのか、男たちの手が、美緒からゆっくりと離れた。その瞬間、解き放たれた恐怖感。ホッとしたのか、まだ怯えたままなのかよくわからない。
 男たちは、名残惜しそうな視線を美緒に残して去っていった。そして、抱き締めたままだった泉の腕も、ゆっくりと離された。
「大丈夫か? 美緒……」
 背後から聞こえる優しい声に、振り向き彼の姿を確認する。そこには確かに泉がいて、その時初めて美緒を優しさが包んだ。思わず緩んでしまう涙腺。全ての恐怖から解き放たれたことを確信して、力が抜けてしまった。そして、無意識に、その安心をくれた彼に、抱きついていた。
「お、おい。美緒?!」
「……怖かった……怖かったよお」
 泉の背に回された腕は、小刻みに震えていた。声も小さく、消えてしまいそうで、彼女の恐怖心がいかほどだったのかというのが伝わってくる。
 抱きつかれた瞬間、不意打ちを突かれたその行動にドキドキと鼓動が高鳴ったが、美緒の涙とともに、それも少しずつ収まってきた。そっと、美緒の体を包み込むように腕を回す。すると、その感触を美緒が感じ取ったのか、泉を抱き締める腕に力がこもる。その束縛感がなんとも心地よくて、そして切なくて、泉の心を掴んで離さなかった。
「ごめん……さっき電話に気付いて」
「もお……泉くんのばかあ……」
「ごめん……泣くなよ……」
 泉にギュッとしがみついて離れない美緒の髪をゆっくりと撫でる。もう一方の腕は、美緒をしっかりと抱きとめていた。
 美緒に可哀想なことをしたと、すごく申し訳ない気持ちはあるのに、素直に腕の中に収まってくれる彼女が愛しくてたまらなかった。こんな風に無防備に体を預けられると、もう離せなくなってしまう。この華奢な体は薫のものだとわかっているのに、愛しくて愛しくて、どう解き放していいのかわからなかった。いや、素直に言えば、絶対に離したくなかった。
「でも良かった……」
「ん?」
「泉くんが来てくれて。……ありがと」
「バーカ。礼なんて言う必要ないんだよ。俺が悪いんだから」
「でも、本当に安心したんだもん。泉くんがいて良かった……」
「美緒……」
「ありがと……」
 まだ泣き止んでいないのに、涙声のまま、美緒が懸命に泉に礼を言った。胸に顔を埋めたままだからか、ひどく曇って聞こえる声なのに、それさえも泉の心を捕らえて離さない。無意識に、美緒を抱き締める腕に力がこもる。
 こんな風に、女を愛しく思うことが、これまでにあっただろうか。切なくて切なくて。胸が締め付けられる分、美緒を抱き締めてしまう。たとえ嫌がられても、今は離せそうにない。
「……痛いよ、泉くん」
「うるさい、我慢しろ」
「どうしたの……?」
「おまえが泣き止むまで離さないって決めたんだよ……」
「……そうなの?」
「そう」
 いっそ、泣き止まずにいてくれたら、いつまでも離さないでいられるのに。
 他人のものだとわかっていても欲してしまうもの。けして手折ってはいけない、最愛の兄の溺愛する花。理性では、わかっている。けれど感情は……すでに走り出している。泉の意志と反して。
「もう……大丈夫だよ?」
 夢の時間が終わる時。美緒のその一言に、余計に腕に力がこもってしまった。けれど、いつまでもこうしてはいられない。泉は最後にもう一度ギュッと抱き締めると、ゆっくりと美緒を腕から解き放した。
「泣き止んでないじゃんか。嘘つき」
「もう泣いてないもん」
「嘘つけ。目がウルウルしてるぞ?」
「気のせいだもん」
 必死に涙をこらえようとする美緒を見て、苦笑する。さっきまで美緒を抱き締めていた感触を、これから先ずっと覚えていることができるだろうか。そんなことを考えながら。
 今にも零れそうな涙を拭うように、そっと彼女の目元に指を寄せた。温かい感触が指を湿らせると、美緒が泉を見て微笑みを零した。
「泉くん」
「ん?」
「大好きだよ」
「……ああ?!」
 不意に向けられた言葉に、一瞬耳を疑った。
 けれど、目の前の彼女は変わらず微笑を浮かべていて、今聞いた言葉は嘘でないと自覚する。言葉の意味がわかるにつれて、恥ずかしさが泉を包んだ。ドキドキと鼓動が高鳴ってくる。まともに、美緒の顔など見ていられない。
「大好きって言ったの」
「……ボケが」
「な、何よ、ボケって!」
「じゃあ、アホ」
「アホじゃないもん」
「うるせえ、バカ女」
 そう言って、美緒の額をペチッと叩いた。
 全く、無防備にも程がある。よくもぬけぬけと大好きなどと言えたものだと、深い溜息を零した。美緒にとっては普通の言葉も、泉にとっては甘すぎる毒なのだ。それもこれも、泉の気持ちを知らないから言えることなのだろう。美緒にとっての泉は兄のような存在で、だからこそ素直に甘えることができるのだと、一瞬そう思った。
 出会った頃と比べると、確実に美緒は泉に心を許している。ある意味、薫に対するよりも、泉に対する方が遠慮がない。
「もう! なんで叩くのよ」
「そのアホな頭を治してやろうかと思ったんだよ」
「ひどい。ひどいひどい! 大好きって言っただけなのに」
「それが悪いんだよ」
「どうしてよ。泉くんは私のこと嫌いなの?!」
「なっ……そんなこといちいち聞くな」
 好きだなんて言えるわけがない。何せ、泉の思う『好き』は、美緒の好きの意味を通り越しているのだから。それが何一つ伝わっていないことが歯がゆくて、また額を叩いてしまった。
「もう! 痛い! 最近泉くん私のおでこ叩きすぎだよ」
「バカもちょっとは直るかと思って」
「泉くんに叩かれたら本当のバカになるじゃない」
「ああ? なんだおまえ、もっと叩かれたいのか?」
 そう言って、美緒の頭をグリグリと弄った。嫌がる美緒を、ニヤニヤと微笑んでは弄り倒す。彼女の物言いがさっきのような弱々しさを消して、すっかり普通のものに戻ったことに安心した。
 ひとしきり戯れた後、美緒は鞄から泉の財布を取り出すと、それを泉に渡した。元々、これを渡すのが美緒の目的だったからだ。すると泉は、届けてくれた礼にと、美緒を誘った。
「今から何か食べにいこうか」
「何かって、何?」
「んー。何がいい?」
「聞くまでもなく甘いものでしょ?」
「お? よくわかってんじゃん。さすが美緒だな」
 ケーキにしようかアイスにしようかと楽しそうに考えながら、歩き出した。そんな彼の後を、美緒もついていく。小走りに駆けてくる美緒の気配に気づいて振り向くと、泉が優しく笑った。
 けれど、その後すぐに、笑顔が曇った。視線は、美緒の背後に向けられていた。
「楽しそうね。今からデート?」
 背後から聞こえた甲高い声に、美緒も思わず振り向くと、そこには以前どこかで見た顔があった。派手な風貌。元々顔立ちは綺麗だと思えるのに、濃い化粧のせいで、印象がきつく見える。最初は誰だか思い出せなかったが、泉の冷ややかな態度に、それが誰なのか思い出した。
「なんだよ、おまえには関係ないだろ」
「その子彼氏持ちでしょ? この間いたじゃない、すっごい格好いい彼氏」
「どうでもいいだろ、そんなこと」
 彼女は足早に歩み寄ると、美緒の前に立って睨みつけた。以前、泉に連れて行かれたアイスクリーム屋で出会った女だ。泉が冷ややかに接した、元彼女。名前は、確か『エリカ』だと泉は言っていた。
「最近全然女の噂聞かないなって思ったら、こんな子供相手にしてたの?」
 美緒をきつい眼差しで見つめながら、そう言い放った。たとえそれが本当のことだとしても、美緒にとってはいい気はしない。けれど、返す言葉も見つからなくて、ただ俯いた。
 すると、泉が美緒の背後に立って、肩に優しく手を置いた。
「そういう言い方するなよな。こいつが悪いみたいだろ」
「何よ。庇うの? この子だって彼氏いるんでしょ。そんな女追いかけてどうすんのよ」
「別に追いかけてなんか……」
「じゃあ泉にとってこの子って何よ」
 そう問われると、すぐさま答えが出てこない。以前の泉なら、『兄の彼女』と即答できただろう。でも今は、それを言うのに抵抗がある。事実、今はもうそんな風に思えないからだ。
 己の口で言うには、あまりに苦い言葉で、重い現実だった。
「なんで答えないのよ。否定しなさいよ」
「……うるさいんだよ、おまえは。大体なんで俺がおまえにとやかく言われなきゃならないんだよ。もう関係ないんだからほっとけよ」
「ほっとけないよ。だって私泉のことまだ好きだもん……」
「悪いけど、俺はおまえなんか好きじゃない」
 あまりに冷たい泉の言葉に、美緒が思わず彼を見上げた。けれど、そこには真剣な意思が見えて、美緒は何も言葉に出来なかった。きつすぎる言葉を嗜めようとしたが、泉の言葉がいい加減なのではなく、本気だと伝わったからこそ、何も言えなかったのだ。
「なによ……ひどいよ……」
「もう話し掛けんな。おまえとは、とっくの昔に終わってるんだから」
「もう戻れないの……?」
「無理だよ。だって俺はおまえのことを愛してない」
 美緒の肩に置いた手に力を込めて、彼女を引き寄せ、背を向ける。
 けれどその瞬間、エリカが美緒の腕を掴んだ。目には涙を溜めているのに、容赦なく憎しみを込めて睨みつける視線に、美緒の視線も逃げられなくなる。
「彼氏いるくせに」
「……え?」
「あんな格好いい彼氏いるくせに、泉にまで手出さないでよ」
「私はそんなこと……」
「ずるい女だね。泉のことたぶらかして、自分はいい思いばっかりして。楽しい? 楽しいに決まってるよね」
 エリカの目に憎しみがこもる。どうしようもない想いをぶつけるところが、美緒にしかなかった。
 美緒に罪はない。その事実も、エリカはわかっているのかもしれない。けれど、理性とは無関係な嫉妬の感情は、もう美緒にしかぶつけるところがないのだ。
「……ムカツク。あんたみたいなあばずれ女、いなくなればいいのよ!」
 エリカが、手を振り上げた。
 殴られる――!!
 そう思って瞬時に目を閉じたが、その後すぐに温かい温もりに覆われ、そして覚悟していたエリカからの衝撃は受けることがなかった。目をそっと開けると、泉が美緒の前に立ちはだかって、彼女を庇うように抱きしめていた。そして、抱き締めたまま、ポツリと呟き始めた。
「こいつに罪はないんだよ」
「泉……」
「こいつは何も悪くない。おまえに憎まれるようなことも何もしてない」
「でも……!」
「殴りたいなら俺を殴ればいい。でも、いくら何をされても、これから先絶対におまえを好きになることはないから」
 とても落ち着いていた泉の言葉に、わけもわからず胸が痛かった。エリカの想いが、少しうつったのかもしれない。好きな人に、真摯にこんな言葉を伝えられた時の胸の痛み。感情的ではない泉の言葉だからこそ、エリカも何も言い返さなかった。そして、数秒経った後、彼女が静かに呟いた。
「もういい。もういらない。泉なんか……どこかに行っちゃえばいいのよ」
 今にも泣いてしまいそうなか細い声だった。
 エリカは、悔しさに唇を噛み締めながら背を向けると、それ以上何も言わず去っていった。
 言葉のない沈黙が続く。抱き締められたままの泉の鼓動がやけに耳に響いた。
「追いかけなくてもいいの?」
「いいんだ……どうせ愛してやれないんだから」
「そう……」
「ごめんな。おまえまで巻き込んで……傷つけたよな……」
「泉くん……」
「ん?」
「……つらいの?」
 泉の声から何かが伝わって、思わずそう問うていた。彼の声が、寂しげで、そして後悔しているように聞こえたから。
「俺が悪いんだよ……傷つけて……最低だ……」
「傷ついてるのは、泉くんじゃないの?」
「……バーカ。そんなことないよ……」
 エリカに放った言葉は、己をも傷つける言葉。最愛の人に愛してもらえないのは、彼女も泉も同じだ。だからこそ、余計な情をもう持たせてはいけないと、思い切り突き放した。以前の泉なら、そんな態度も何も感じずにやってのけたのに。
 けれど今は。恋をしてしまった今は。エリカに対するそんな言葉さえ、泉を傷つけずにはいられなかった。
「なあ、美緒」
「ん?」
「もし、俺がさ……」
 抱き締める彼女の髪に唇を寄せてそっと呟く。
 どうして、そんなことを口にしたのかは、わからなかった。

「もし俺が、おまえのこと好きだって言ったら、どうする?」

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