華水の月

27.最愛と最恋

「ねえ、泉くん。何やってんの?」
 いち早くケーキを三個食べ終えて、オレンジジュースを飲みながら携帯を触っている泉を、美緒が不思議そうな目で見た。泉が手に持っているのは、美緒の携帯だ。ちょっと貸してと言われたからすんなり貸したものの、泉は携帯を手にすると途端に操作し始めていた。
「んー? おまえにプレゼントを、と思って」
「プレゼント?」
「うん。……ほれ、完了」
 画面を開けたまま、泉が美緒に携帯を返した。返された携帯画面を見ると、そこには新しく追加された泉のメールアドレスと、『泉サマ』と書き換えられた名前があった。
「嬉しいだろ? ちゃんと登録してやったんだからありがたく思えよな」
「何これ、泉サマって……勝手に書き換えないでよ」
「うるせえ。泉くんより泉サマの方がらしくていいじゃんかよ」
「どうせだったら、バカ泉でしょ」
「ったくおまえは、俺には本当に遠慮がないなあ」
「泉くんだってないじゃない」
「俺は別にいいんだよ」
「じゃあ私だっていいもん」
 ケーキを食べる手を休めて、美緒が口を尖らせる。
 周りには、泉や美緒と同年代の女の子たちがたくさん居て、この中に紛れていると二人は自然とカップルに見えた。泉が勧めた店は本当に美味しく、美緒もすっかり気に入ったようだった。向かい合ってじゃれ合う二人は、とても似合いだ。実際は、ただの兄と妹のような関係に過ぎなくとも。


『――もし俺が、おまえのこと好きだって言ったら、どうする?』
 数十分前のことが、ふと泉の脳裏を過ぎった。
 泉の言葉に、美緒は一瞬驚いたようで、顔を上げ彼の目をマジマジと見つめると、その後ニッコリと微笑んだ。
「すごく嬉しいよ。だって私も泉くんのこと好きだもん」
 返ってきた言葉は残酷だったけれど、少し安心もした。どうやら、美緒には、泉の言葉が、『異性として』のものだと認識されていなかったようだ。美緒に問うてしまったことの少しの後悔は、彼女の言葉で跡形もなくなった。
「そりゃどうも。お気に召して光栄ですよ」
「泉くんも私のこと好きなんだよね?」
「ああ。憎たらしくて生意気な妹だけどな」
 あえて、『妹』と言うことで、美緒の勘違いに念を押した。そんな自分が、少し悲しかった。
「何よそれ。泉くんだって、意地悪で乱暴なお兄ちゃんのくせに」
「おまえがもうちょっと俺に従順で可愛げがあったら、もっと可愛がってやるのになあ」
「別にいいもん。泉くんに可愛がってもらわなくたって」
「ほら、そういうところが可愛くないっつーの」
 美緒の額を、ぺちっと叩いた。どうやら泉のこの行動は、二人にとっての軽いじゃれ合いの象徴になっているようだ。
「痛いー」
 口を尖らせては反論する美緒の表情に思わず笑みが零れる。
「なあ、おまえってさ、薫にもいつもそんなんなのか?」
「え? どういう意味?」
「俺に対するみたいにさ……」
「泉くんに対するみたいに?」
「大好き……とか、無邪気に言ってみたりとか」
 何気なく聞いてみた。美緒の、泉に好感を寄せるこの態度は、薫に対してとも同じなのかと。比べてどうなるわけでもなかったが、彼女の中の存在位置を知りたかったのかもしれない。
「ううん。……言わない」
「言わない?」
「先生にはなんか言いづらいもん」
「なんで?」
「だって……恥ずかしいんだもん」
 消え入りそうな声で言いつつ、頬を真っ赤に染めた。そこにはやはり、泉には普段見せない、恋する女の子の表情があった。
「じゃあ、初めて好きって言ったのはいつ?」
「え? えーっと……いつも嫌いって言うばっかりだったから、覚えてないかも」
「嫌いって言ってたのか? 薫に?」
「だって、素直に好きなんて言えないよ。恥ずかしくてたまらないもん」
「俺には大好きーとか普通に言うくせに」
「だって、泉くんは普通に好きだもん」
「薫のことも好きだろうが」
「ううん、先生のは違う」
 美緒の言う意味がわからなくて、一瞬眉を顰めた。
「本当の『好き』は、そんな簡単に言えないよ。すっごく勇気がいるもん。ただ『好き』って言うだけでも、心臓が壊れちゃうんじゃないかと思うくらい」
「ふーん……」
「だから、先生には、時々しか言えないの」
 恥ずかしげに笑う美緒はとても愛らしくて、恋する少女そのものだった。
 薫に向けられる『好き』という言葉は、どれだけ甘美なものなのだろう。きっと、心が痺れて身動きできないくらいの魅力があるのだろうと想像した。言葉だけで心を縛ることができるくらいに。
「だったら、俺に言う『好き』は安物なわけね。あーあ、しらける」
「何よもう! 意地悪だね、泉くん」
 いじける美緒を見て、クスクスと笑った。
 泉を翻弄するくせに、根底ではきちんと薫を一番に愛しているのだと教えてくれる美緒に少し感謝する。美緒の心が、少しも揺らいでいないのが、泉にとって何よりの救いだ。その気持ちで、自分を制することができるのだから。
 けれどやはり、見せつけられた薫との差は、痛いほど切なかった。
「さて、しらけた気分を晴らしに、ケーキでも食いに行くか」
「あ、泉くんのお勧めのお店がいい」
「俺のお勧め? いっぱいありすぎて困るな」
「じゃあここから一番近いところで、美味しいとこ」
「はいはい。……んー、今日は何個食べようかな」
「……またいっぱい食べるの?」
「当たり前だろ。まあ、三個くらいにしといてやるか」
「充分だよ。むしろ多すぎ」
「そうかあ?」
 後ろから、てくてくと付いてくる彼女の手を、そっと握って引いた。その行動がすごく自然すぎて、美緒も抵抗は見せなかった。ただそれだけのことが、泉にはすごく幸せだった。


「ねえ、泉くんの誕生日って来週なの?」
「あ?」
「ほら、メールアドレスに数字入ってるでしょ? これって誕生日なのかなあと思って」
「あー。そういや、来週かな」
「忘れてたの?」
「うん。すっかり」
 ケーキを食べ終えた美緒が、泉のメールアドレスを見て呟いた。『泉サマ』と表記されていた画面は、美緒の手で『泉くん』に戻っている。泉の指示で、彼の携帯にもメールを送ったので、泉の携帯の中にも美緒の番号とアドレスが登録済みだ。別にやましいことは何もないが、薫にはそのことを伝えておこうとふと泉が思った。そういうところは、意外と律儀な弟なのだ。
「ふーん……お誕生日の日って、日曜日だよね」
「さあ、知らないけど」
「そっかそっか」
「何だ?」
 何か企んでいるような美緒の物言いに、一瞬疑念が浮かんだ。含み笑いを浮かべてにやける彼女を、苦い顔で見つめる。けれど、問い詰めても彼女は何も答えなくて、それ以上聞くのはやめにした。
 ちょうど、薫の迎えが来たというコールが泉の携帯に入ったのと、ほぼ同時のことだった。


 翌週の土曜。
 前日に薫から泉へと電話がかかって、昼頃に家に来るようにと言われ、言う通りに兄の家に訪れた。合鍵は持っているが、家に薫がいるとわかっていているので、あえて使わず呼び鈴を鳴らした。目の前で使ったら、きっと奪われるだろうと解釈したからだ。
 ドアの向こうに人の気配を感じて、扉が開くのを待つ。すると、現れたのは兄ではなく、その彼女だった。可愛らしいエプロンを身につけて、柔らかく微笑んでいた。
「いらっしゃい、泉くん」
「なんだおまえ、居たのか」
「何よ。いたら迷惑?」
「別にそういう意味で言ったわけじゃないけど、ちょっとびっくりしたんだよ」
 目の前に佇む彼女が愛らしすぎて直視できない。思わず、ふいっと視線を外した。
「ほら、早く中に入ってよ。待ってたんだよ?」
「え? あ、ああ」
 美緒に手を引かれ、導かれるままに中へと入った。キッチンへ続く扉を開けると、そこにはたくさんの料理が並べられ、そしてテーブルの真ん中には、ひときわ大きなケーキが置かれていた。
「一日早いんだけど、お誕生日おめでとう」
 背後でそう言われ、驚きで振り返る。そこには、本当に嬉しそうにニコニコと笑う美緒の笑顔があった。まるで視線が絡め取られるかのようなその瞳に魅入る。あまりにも愛らしく、そして優しくて……。思わず抱き締めてしまいたい衝動をグッと堪えた。
 そんな彼の気持ちなど知ってか知らずか、美緒は泉の背を押してグイグイと中へと連れて行く。
「いらっしゃい、泉」
「え? ああ。いらっしゃいました」
「何言ってんのよ、泉くん」
「うるせえ、びっくりして頭こんがらがってるんだよ」
 リビングでは薫が待っていて、泉の表情を見て、苦笑を零した。その苦笑は、はしゃぐ気持ちを抑えられずにソワソワする美緒を想ってのことだと、すぐにわかった。

 その後、三人でテーブルを囲み、何気ない話をしながら談笑した。
 美緒が作ったという料理は、どれも全部美味しくて、残さず全部平らげた。最初、買ったものだと思っていたケーキも、実は美緒の手作りだということを知って、驚かずにはいられなかった。本当に、売り物と比べられないくらい、美味だったからだ。
 三時間ほど色々と語り尽くした後、美緒はそろそろ家に戻ると言い出し、片づけを済ませた後に家へと帰って行った。薫がいるのに、こんなに早く帰らなくても……とも思ったが、そういうきっちりした律儀さは、とても美緒らしくて、薫も無理強いして止めはしなかった。
 花がいなくなった途端、静けさを取り戻したリビングで、薫に入れてもらったコーヒーを飲みながら、一息ついた。立ち上る湯気にホッとする。斜め向かいのソファに座っていた薫もそう思っていたようで、一口含んだ後、大きく息を吐いた。
「なんか、美緒が一番嬉しそうだったな」
「ん?」
「おまえの誕生日だっていうのに、美緒が一番嬉しそうにしてたなあと思って」
「あー。確かにそうかも」
 二人して、彼女を思い出してクスクスと笑った。最初から最後まで、美緒は終始笑顔を絶やさず、とても嬉しそうだった。料理が美味しいと誉めたからということもある。でも、泉の誕生日を祝えたから、という理由が、きっと一番大きかったに違いない。
「当日は、彼女とか友達と過ごすかもしれないから、今日祝いたいって言ってたんだ」
「美緒が?」
「どうしても、おまえに何かしてやりたかったみたいだよ」
「そんなの別にいいのに……」
「物をあげるより、美味しいものをたくさん食べさせてあげたいって、嬉しそうに言ってた」
 数日前の、美緒の様子を思い出して、あの表情は今日のことを考えていた故のことだと思い出した。素直に嬉しかった。誕生日という口実でも、美緒に会えたことに。そして、美緒に笑顔を向けてもらったことに。
「あいつさ、朝からここでずーっと料理してたんだよ」
「朝から?」
「そう。七時くらいにここに来て、それから昼までずーっと一人で料理してたんだ」
「マジで?」
「手伝おうか? って言ったら、怒られたよ。先生はあっちに行ってて! って」
 薫が、苦笑を零した。その時の美緒の光景が目に浮かぶようで、泉は胸の中に愛しさの火を灯す。
「ちょっと前に、おまえの好物を美緒に聞かれたんだ。だから、五、六個教えてやったら、全部作ってたよ」
「え?」
「そんなに作っても食いきれないぞ、って言っても、泉くんの誕生日だから別にいいの。って。食料も前の日にいっぱい買い込んでて、本当に一生懸命作ってたよ」
「なんだ。あれ偶然じゃなかったんだ」
 テーブルに並べられていた料理は、全て泉の好物ばかりだった。かなりの量はあったのだが、好物で、しかも美味だけあって、全部平らげるのは苦痛ではなかった。
 何より、食べている時の、美緒の笑顔が嬉しかったのだ。あの笑顔を見ていると、何でもできそうな気がする。
「顔にクリームもいっぱい付けてさ、でっかいケーキ作ってて。本当に健気で可愛い奴だよな」
「で、薫はそんな美緒を見て、顔に付いたクリームを舐めたりするんだろ?」
「あ、それはもちろんお約束だから」
「おいおい、のろけんなよな」
「だって、可愛いんだから仕方ないだろ?」
「まあ、わからないでもないけどね」
 美緒のそんな姿を想像してみる。薫の言う通り、可愛くてしかたがないかもしれない。けれど泉は、そう思うことはできても、薫のように彼女には触れられない。けして、自分のための美緒の行為でも、全てを受け取ることはできないのだ。
 そんな切なさを抱えていると、薫が、思わぬことを口にした。
「でも、……なんか、おまえにちょっと妬けるよ」
「妬ける? ……俺にか?」
「無条件で好かれるおまえを見てると、時々羨ましく思う時がある。ただ単純に好かれることがどれだけいいかって」
「どういう意味?」
「確かに俺は、今は美緒の一番だけど、これから先もずっと恋人でいられるかと言ったら、その保証はないだろ? でもおまえはきっと……おまえに対する美緒の気持ちはきっと、これから先も揺らぐことがないよ」
「え……」
「今は、誰よりも恋しく思われていても、ずっと最愛の人でいられるかとしたら、その保証は、俺にはないってこと」
 恋人という関係は、尊いながら、儚く脆い。愛しているという感情だけで成り立っている関係なのだ。だから、そこにどちらかの愛情が欠ければ、二人の関係は全て崩れ去ってしまうだろう。
 そんな時ふと思う。友達のように、兄のように、無条件で好かれるだけの関係が、どれだけ強いものなのかと。人として好きだという、その気持ちは、よほどのことがない限り、永久に続くものだとそう思う。激しい愛情がない分、けして揺らぎはしないのだ。そんな感情にさえ縛られてしまうのは、薫にとって美緒という存在が、この世で一番大事で、そして失うことを何よりも恐れているからだろう。
 ――最愛と、最恋。
 それはいつでも一つであって、それでいて背中合わせの感情かもしれない。
「心配しなくても、美緒は薫から離れたりしないよ」
「なんだ? 急に」
「だって、薫みたいないい男を振る女なんて、絶対バカじゃん」
「そんな俺でも、一度だけ振られたことはあるけどね」
「でも実際、その振った女も、今になって後悔してるじゃん。……知ってるんだろ? 麻里さんの気持ち」
「まあ、知ってるような、知らないような」
 はぐらかして、ふっと笑った。泉も、そんな薫にそれ以上何も言わなかった。
 薫の残した言葉は、少し意外で、泉の心の中に深く沈んでいく。あんな風に、泉のことを見ているだなんて、少しも思っていなかった。不安も何もなく、ただ、幸せなだけだと思っていたのだ。不幸なのは、自分だけなのだと。
 けれど、薫の気持ちに、自分の今の立場も、そう悪いもんじゃないのかもしれないと、そんなことを思った。何もしなくとも、美緒には愛されている。恋という感情はなくとも、すごく大事にされている。遠慮なく泉に懐いてくれる美緒の気持ちは、ある意味本当に兄のように思われている証なのかもしれない。それは、痛いほどよくわかっている。だからこそ、苦しいし、そして甘く疼くのだ。
「おまえ、美緒に出会って変わったな……」
「そうかな?」
「ああ。すごく優しくなったと思うよ。以前のおまえも確かに優しいけど、でも心の中に土足で踏み込もうとする人間には、無意識に拒絶してただろ。特に、女には」
「あ……まあ、そうかも」
「その分、誰かの心の中に踏み込もうともしなかった。俺は兄弟だから、そんなことはないけど、他人に対するおまえの態度を見てたら、それくらいはわかるよ」
 泉はきっと、恋ができないのではなく、あえて恋をしないようにしているのではないかと、薫の中でずっと思っていた。元より泉は、人に優しくて無邪気で、正直な男だ。人を騙したり、陥れたり、そういうことをできる人間じゃない。一見世渡り上手に見えるが、心はとても純粋なのだ。だからこそ、そういう部分に付けこまれることも、少なくはないだろう。特に恋愛に置いては、傷つきやすい性格といえるかもしれない。それを己自身でわかっているからこそ、無意識に人と距離を置いている。上辺は誰にでも人懐こい泉だが、本心では、あまり他人に心を許していないのだ。
 そんな弟を、いつも心配に思っていた。けれど、美緒と出会って、泉は変わった。少なくとも、美緒には全てを許している。いや、美緒に心全てを奪われている。心の何もかもを、美緒の手で掴まれているように思った。
「薫はさあ……薫は、本当に女を見る目があるよな」
「なんだ? 急に」
「いや、正直さ、麻里さんと別れたって聞いた時は、あれ以上の女なんてこれから先絶対見つからないって思ってたんだ。見た目もすごく綺麗だし、性格だっていいし、それにすごく女らしい人だったから」
「おまえは、出会った頃から麻里がお気に入りだったからな」
「まあね。……だから、麻里さん以上なんて絶対いないって思ってた。でも、美緒に会って、それが間違いだってことがわかったよ」
 『あの子には敵わない』と、麻里が自分で言った言葉は、謙遜や卑屈でも何でもなく、純粋に美緒を認めている言葉なのだろう。けして、麻里が美緒に劣っているというわけではない。麻里の美しさは際立っているし、事実、男たちも彼女を放ってはおかない。
 けれど、美緒の愛らしさや素直さ、優しさは、誰とも比べられない輝きがある。彼女にしかない特別なものを、美緒は持っている。それを、麻里も気付いているのだろう。
 そして、その輝きを見せ付けられた人間は、魅了されずにはいられないのだ。美緒という世界に足を踏み入れると、そこから逃げ出す術を忘れ去ってしまう。
「最高の彼女だと思うだろ?」
「ああ。悔しいけど、否定できないね」
「まあ、優しすぎるのがたまに傷だけどな」
「いいじゃん。優しい方が」
「それは、おまえだからそう思うんだよ」
「え?」
「彼氏の立場になってみろ。結構不安だぞ、あれは」
 苦い顔をして、そう言った薫の物言いに、泉がつられるように笑った。
「まあ、確かに薫が言うのもわかるかも」
 関心するように、頷いてしまう。
 確かに、美緒のあの優しさは、結構残酷なものがある。そして、あの無邪気さ、無防備さも。それを計算でやっているわけではないから、薫も何も言えはしないのだろう。優しすぎるほど優しい美緒の気持ち。もちろん、一番の前提に薫がいるものの、美緒は周りにいる人間に惜しみなく、その優しさを分けて与えてしまう。
 一人占めしたいと願っても、彼女には無意味だ。そんな優しい彼女が、一番彼女らしいのだから。それ故に、美緒に対して特別な感情を抱く者も多いだろうし、勘違いしてしまう者もいるだろう。
 なるほど、そう考えると、薫の立場も結構酷かもしれない。普通の男ならば、嫉妬に狂い、美緒を縛ってしまうかもしれない。薫ほど度量の広い男だからこそ、彼女は彼女らしくいられるのかもしれないと、泉はそう思った。
「妹にするには、本当に申し分ないくらい可愛い女だよな」
「まあ、美緒もおまえに懐いてるみたいだから、可愛がってやれよ」
「可愛すぎて、薫から奪っちゃうかもしれないけど、いい?」
「奪えるものなら、奪ってみれば?」
 冗談めかして言った泉の言葉に、薫も同じようなノリで返したけれど、泉を見据えるその視線には、本気の色が覗えた。背筋をゾクリとさせる、氷の視線。その視線に、心の全てを見透かされているようで、泉が視線を逸らした。
 やはり、薫は泉の複雑な気持ちに気付いている。そう、思った。
「おまえの誕生日をあれだけ盛大に祝ってやったんだから、俺の時はもっと盛大にやってもらわないと割に合わないな」
 薫も泉から視線を外し、ソファの背もたれに体を預け、微笑を浮かべながらそう言った。一瞬凍りついた空気だったが、薫がすぐに溶かしてくれたこともあって、泉もその空気にすぐに馴染んでいく。
「薫の誕生日って、まだまだ先じゃん」
「まあ、そうだけど、逆にいえばそれだけの期間考える猶予があるってもんだよ。何貰おうかな」
「好きなもん全部作ってもらえば?」
「それじゃおまえと一緒だろ?」
「じゃあ女体盛りさせちゃえよ。絶対やばいぞ、美緒の女体盛り」
「おまえやっぱり頭おかしいだろ」
 薫が声を立てて笑う。泉の発想はいつも想像を超えてくるから退屈しない。
「えー。未知の領域はいい刺激になるのに」
「……そうだな、じゃあさせてみるか」
「あ、その時はぜひ俺も呼んでください」
 薫の冗談に、泉がわざとらしく頭を下げた。そんな彼の頭を、薫も笑いながらポカッと叩いた。
「アホか、おまえは。それじゃ意味ないだろうが」
「なんだよ、ケチケチすんなよ」
「おまえは、どこぞの女にやってもらえ」
「えー。俺だって美緒の女体盛り見たいし」
 美緒が聞いていたらどんなことになっていたか。『変態!』と怒鳴り散らして、きっと憤慨するに違いない。
「まあ、極上のデザート付きで、祝ってもらうさ」
「極上のデザート? ……ああ、なるほどね」
 薫の言ってる意味が一瞬わからなかったが、察しのいい泉は少し考えを置くと、ピンと来た。
 全く羨ましい話だ。極上どころか、極上すぎるデザートではないか。
「さすがに、これはおまえにもやれないから」
「なんだよ、いつも食ってるくせに」
「……それが、そうでもないんだなコレが」
「え? ……意外なんだけど」
「ああ見えて美緒さんは、結構ガードが固いというか、全然食わせてくれないというか、いつもお預け食らってんだよ。何回かは、おまえのせいでもあるけど?」
 ジロリと睨まれて、泉が乾いた笑いを浮かべた。そんなあからさまな泉の態度は、薫の思う通りすぎて、可笑しくて笑いが零れる。
「だから、極上のデザートなんだよ」
「……なるほどね。デザート大好きの俺からしてみれば、羨ましすぎる話だな」
「それよりおまえ、少しは甘いもの控えろよ。糖尿病になるぞ」
「大丈夫だよ。名医が付いてるから」
「は?」
「薫先生がいれば、怖いものなしだろ?」
「おい。俺がいつからおまえの担当医になった?」
「いいじゃんか。弟の健康管理してくれたって、兄として普通のことだろ?」
「またそうやって甘えやがって……気色悪い」
「薫ちゃん……その『気色悪い』っていうのやめてくれよな。これでも結構傷ついてんだからさ」
「薫ちゃんなんて呼ぶな。そういうところが気色悪いんだよ、おまえは」
 そんなことを二人で話していると、自然と笑いが絶えなくなった。やっぱり、笑いあう二人が一番自然だった。

Copyright (C) 2006-2011 Sara Mizuno All rights reserved.